どこに住んでいても、そこに定住して暮らしていれば、必ず「ここはいいけれど、ここはどうにも納得がいかない」という部分が出てくるものだと思う。それは日本にいたときもそうだったし、韓国に住んで長い今の生活でも同じだ。
社会の一員として、その国のシステムや文化が自分の肌に合うか合わないか。正直に言って、すべてに納得して暮らせる人間なんていないだろう。基本的には「文化的な多様性」という言葉で受け流し、理解しようと努めるつもりでいるけれど、それでも時々、個人的にどうしても受け入れがたくて、静かに憤りを感じる瞬間がある。
けれど、そんな不満を脇に置いて、韓国生活の中で「ここは本当に素晴らしい」と思えるものをいくつか挙げてほしいと言われたら、私は迷わず交通システムと医療システムを挙げるだろう。
驚くほど安い移動コスト
特に交通費の安さは、何度経験しても驚かされる。ソウル市内のどこを移動しても、だいたい1,500ウォンから1,700ウォン程度で済む。日本で生活していた頃の感覚からすると、あまりに安すぎて、ある種の違和感すら覚える。
こういうとき、自分の中の「理系の女」が顔を出す。つい数字と仕組みのほうを考えてしまうのだ。けれど、この運賃だけでバス会社や鉄道会社が健全に運営できているはずがない。計算が合わない。
きっとここには、相当な政治的理由が絡んでいるのだろう。どの国でもそうだろうが、特に韓国では、一般市民の支持や人気が政治家に与える影響が非常に大きい。だからこそ、庶民の生活に直結する交通費を低く抑え、その損失を税金などの公的な資金で補填しているのではないか。内情を詳しく知っているわけではないが、おそらくそういう構造なのだろう。
「無料」という名の衝撃
さらに私を驚かせたのは、バスからバスへ、あるいはバスから地下鉄への「無料乗り換え制度」だ。
降りてから30分以内であれば、次の乗り継ぎで新しく運賃を支払わなくていい。初めてこのシステムを知ったとき、私は「本当に?」と疑った。間違いなく、世界中のどこを探しても、ここまで徹底して乗客に都合の良い制度は他にない気がする。
韓国の人たちにとって、これは当たり前の権利であり、日常の風景なのだろう。けれど、外から来た人間にとって、この「あまりに親切すぎるシステム」は、どこか現実味がないほどに便利だった。
適当な距離で、恩恵だけを
政治的な意図や、その裏側にある不透明な仕組み。それを深く追及しすぎると、また別のストレスが生まれる。
私はこの国で暮らしているが、同時に常に「外側」にいる感覚を持っている。その感覚は、時に寂しさを伴うけれど、同時にとても心地よい。
システムの不備や社会の矛盾に激しく憤るのではなく、適度な距離を保ったまま、提供される便利さだけを静かに享受する。それが、私にとっての心地よい生存戦略だ。
もし私が韓国人だったら、あるいはここが日本だったら、こういう美しく見えるのに仕組みのよくわからない制度について、もっと内側まで知りたくなっていたかもしれない。その過程で腹を立てたり、何か言いたくなったりもしただろうが、ここでは私はあくまで「客」であって、必要以上に踏み込むのはただの出過ぎた真似だ。
政治的な問題はとりあえず横に置いておこう。ただ、この不自然なほどに便利なシステムに感謝しながら、今日も目的地まで安く、スムーズに移動できればそれでいい。
外側にいながら内側で暮らす。その絶妙なバランスを保つことで、私はこの街の喧騒の中でも、自分だけの静かな場所を維持できている気がする。
