5月に入った。日本の方は、ちょうどゴールデンウィークの賑やかさに包まれている頃だろうか。けれど、こちらに住んでいると、その特有の「連休への高揚感」というものは、もうずっと忘れてしまった気がする。そもそも私は日本で社会人としての経験がないので、日本の会社員がGWをどう捉えているのか、その本質的な気持ちを理解することは永遠にないのかもしれない。私の記憶にあるのは、学生時代の気楽な休みだけだ。

勤労者の日という不思議な隙間

韓国では5月1日が「勤労者の日」だ。多くの会社員にとってはこの日は休日になる。私も、マーケティング担当としての日常から離れ、ゆっくりと時間を過ごすことができる。 けれど、最近になって少し不思議な事実を知った。この日は国家が定めた正式な「公休日」ではないらしい。 多くの企業が休みになるのは、あくまで「勤労基準法」という法律に基づいた有給休暇のような扱いだからだという。つまり、この法律の対象にならない人――たとえば公務員や会社の役員など――にとっては、普通の平日になるらしい。 日本にもこんな仕組みがあっただろうか。記憶を辿れば、11月23日の「勤労感謝の日」があったけれど、あれは社会全体が等しく休む日だったはずだ。 国家が定めた祝日ではないのに、特定の法律が「労働者は休みなさい」と指示している。このあたりの仕組みに、韓国らしい厳格さと、どこか奇妙な合理性が同居している気がして、少し面白い。

「赤い日」への違和感

韓国で暮らして気づいたもう一つの面白い感覚がある。 韓国の人たちは、休みの日や祝日のことをよく「赤い日(ッパルガンナル)」と呼ぶ。単純に、カレンダーの数字が赤く印字されているからだという理由だ。 初めてこの言葉を聞いたとき、私は心の中で激しく混乱した。 日本語で「赤い日」と言えば、どうしても生理中のことを指す隠語として連想してしまう。もしも日本の男性が、事もなげに「今日は赤い日だから」と言い出したら、周囲は相当に困惑するだろうし、私なら「いや、気持ち悪い……」と心の中で呟くと思う。 そんな文化的なフィルターを通して聞いてしまったため、当時の私には「なぜ彼らはこんなに不自然な言い方をするのだろう」と、ひどく不可解に感じられた。 けれど、今はもう慣れた。誰かが「次の赤い日はいつだっけ」と言えば、自然とカレンダーの赤い数字を探す。言葉というものは、意味よりも先に「その場所での共通認識」として身体に染み込んでいくものらしい。

距離を置いたままの休日

勤労者の日の静けさは、心地よい。 職場の同僚たちが、SNSにアップされる華やかな外出先の写真や、家族と過ごす時間の断片を共有し合っているのを、私は少し離れたところから眺めている。 完全に溶け込んで、彼らと同じ熱量で「休み」を謳歌したいと思うことは少ない。ただ、この静寂の中で、自分の生活を少しだけ整え直す時間が好きだ。 溜まっていた本を読み、丁寧に淹れたコーヒーを飲み、外の空気の変わり方を観察する。 「赤い日」に休み、法的な枠組みの中で保障された自由を享受する。そんな小さな、けれど確かな安心感に包まれながら、私はまた明日から、あの慌ただしい職場の空気に戻っていく。 外側にいながら内側で暮らす。そのバランスを保つには、こうした「自分だけの静かな日」が、案外不可欠なのかもしれない。

鰻やにいった写真
お昼にひつまぶしを食べた。韓国ではスプーンも一緒に出てくる。使わないけど。