暖かい部屋と、冷たい空気
4月も終わりに近づいているというのに、通勤路の空気はまだ刺すように冷たい。
今朝は空が抜けるように青かったので、つい軽い服装で家を出た。けれど、駅に着く頃には「あ、失敗したな」と確信した。首元に忍び込む冷気に、小さく肩をすくめる。
私の住んでいる家は南向きで、日当たりがとてもいい。おまけに韓国の住宅事情のおかげで、室内は驚くほど暖かい。暖かい部屋に浸っていると、つい外の世界の厳しさを忘れてしまう。
日本にいた頃を思い出すと、冬の室内の寒さは相当なものだった。冬になれば必然的にこたつという名の聖域に閉じこもり、そこから出ることを拒む生活。あの頃の寒さは、今でも肌が覚えている。
韓国に住んでいて、ここがいいなと思う点の一つは、冬の家の暖かさだ。
ほとんどがアパートという構造的な理由もあるのかもしれない。窓枠は分厚く、ガラスは何層にも重なっている。寒冷な気候に抗うための設計なのだろう。それに、上下左右を他の住居に囲まれているため、冷たい外気が遮断される。
ふと考えたが、そうなると最上階に住んでいる人は、少しだけ寒さを感じているのかもしれない。そんな些細な想像をしながら、冷え切った指先をポケットに押し込んだ。
境界線の感覚
職場に着くと、いつものように慌ただしい空気が流れている。マーケティング担当という私のポジションは、常に誰かと誰かの調整役に回ることが多い。
韓国語は十分に通じるし、仕事上のやり取りで困ることはほとんどない。けれど、時折、自分が透明な壁の向こう側に立っているような感覚になる。
周囲が激しく感情をぶつけ合ったり、独特の「ノリ」で盛り上がったりしているとき、私はそれを少し離れた場所から観察している。その心地よい距離感が、今の私にはちょうどいい。
完全に同化して、内側に入り込みすぎる必要はない。適度に違和感を持ちながら、外側に身を置いて暮らす。それが、ここでの私の生存戦略のようなものだ。
けれど、そんな冷静な視点を持っていても、ふとした瞬間に不意を突かれることがある。
最近、年齢を重ねるにつれて、日本での生活がどうしようもなく恋しくなる夜がある。
韓国での生活に不満があるわけではない。むしろ、こちらのスピード感や、ダイナミックな人間関係の面白さに慣れている。それでも、心のどこかで「あちら側」へ戻りたいと思う自分がいる。
それは、単に故郷が恋しいという感情だけではない気がする。 今の私が持っている、この「外側にいる感覚」を、あちら側で持っていたときの心地よさを思い出しているだけなのかもしれない。
静かな帰り道
デスクに積み上がった資料を片付け、オフィスを出る。
外はまだ冷たいが、空の色は淡いピンク色に染まり始めていた。季節が移り変わる速度に、身体が追いついていない感覚がある。
明日からはもう少し厚手のコートを準備しよう。 家の中の暖かさに甘えて、外の現実を忘れるのは、もう十分だ。
帰り道、コンビニで温かい飲み物を買い、ゆっくりと歩く。 この冷たい空気があるからこそ、家に帰ったときの暖かさが、より鮮明に感じられる。
それにしても、韓国の人たちは本当に寒さに強いと思う。 今日みたいな日でも、薄い半袖シャツ一枚で歩いている人を見かける。私としては、思わず首を横に振りたくなる。見ているだけで寒い。
そういえば、カフェでもみんな当たり前のように「アイスアメリカーノ」を頼む。真冬でも、たぶん100人いたら99人はアイスだ。コーヒーというものは本来、何も言わなければ温かい飲み物では……と思うのだけれど、こちらでは黙って注文すると「アイスですよね?」という空気になる。
だから必ず「温かいのでお願いします」と言わないといけない。 それをうっかり忘れて、冷たいアイスアメリカーノを受け取り、しばらく呆然としたことが何度かある。
そんな小さな違いに首をかしげながら、今日もなんとか、こちらの暮らしを続けている。

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